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日付: 2025年 12月 7日(日曜日) 20:43

説明

これは、ビギナーのための にほんごの よみかたの れんしゅうの ための ぶんしょう です。

1. めぐみへの手紙「お母さんは84歳になりました」

1. めぐみへの手紙(てがみ)「お(かあ)さんは84(さい)になりました」

めぐみちゃん、こんにちは。そう、のんきに()びかけるのも戸惑(とまど)(おも)いです。元気(げんき)にしていますか。今年(ことし)もあっという()に2(がつ)です。お(かあ)さんは4日(よっか)84歳(はちじゅうよんさい)になりました。どんどん(とし)()るだけで、誕生(たんじょう)()はちっともうれしくありません。けれど、めぐみちゃんはきっと、(あか)るく(いわ)ってくれるはずです。「すごい、おばあちゃんになっちゃったね!」とおちゃめに(わら)い、()きついてくる姿(すがた)を、(こころ)(おも)(えが)いています。

(かあ)さんは(いま)一生懸命(いっしょうけんめい)毎日(まいにち)()きています。体中(からだじゅう)(おとろ)えを(かん)じ、日々(ひび)しんどく(かん)じます。そして、病院(びょういん)必死(ひっし)にリハビリするお(とう)さんの姿(すがた)()ると、「一刻(いっこく)(はや)く、めぐみと()わせてあげなければ」という(あせ)りで全身(ぜんしん)がしびれます。

 これが()いの現実(げんじつ)です。お父さんと、お(かあ)さんだけではありません。すべての家族(かぞく)()い、()み、(つか)()てながら、それでも、被害者(ひがいしゃ)祖国(そこく)(つち)()ませ、()()いたいと(ねが)い、(いのち)(ほのお)()やしているのです。

 (わたし)たちに、(のこ)された時間(じかん)本当(ほんとう)にわずかです。全身(ぜんしん)全霊(ぜんれい)(たたか)ってきましたが、もう(なが)く、()つことはかないません。その現実(げんじつ)を、政治家(せいじか)官僚(かんりょう)(みな)さまは、どう(かんが)えておられるのでしょうか。(わたし)たちはテレビで、のどかにさえ()える(かたがた)姿(すがた)を、()つめ(つづ)けています。(みな)さまには、拉致(らち)残酷(ざんこく)現実(げんじつ)をもっと、直視(ちょくし)していただきたいのです。

 (つぎ)誕生(たんじょう)()こそ、あなたと一緒(いっしょ)(いわ)いたい。それを実現(じつげん)させるのは、日本(にほん)(こく)であり、政府(せいふ)です。政治(せいじ)のありようを()ると、「本当(ほんとう)(かい)(けつ)するのか。被害者(ひがいしゃ)帰国(きこく)道筋(みちすじ)(かんが)えているのか」と不安(ふあん)や、むなしささえ、(かん)じることがあります。

 「なんの(つみ)なく拉致(らち)されたままの子供(こども)を、肉親(にくしん)を、(かえ)してください」-。この簡単(かんたん)(おも)いがかなわず、絶望的(ぜつぼうてき)なほど(なが)(とき)()ぎてしまった現実(げんじつ)に、拉致(らち)事件(じけん)(やみ)(ふか)さを(かん)じます。そこに、(ひかり)()さなければなりません。令和(れいわ)という時代(じだい)(はじ)めて(むか)えた誕生(たんじょう)()に、被害者(ひがいしゃ)全員(ぜんいん)一刻(いっこく)(はや)(きゅう)(しゅつ)(ねが)いを()め、(にほん)(あか)るい未来(みらい)(いの)ります。

 めぐみと一緒(いっしょ)()ごせたのは、あなたが13歳(じゅうさんさい)になるまでのわずかな時間(じかん)でしたが、()まれたばかりのあなたを()き上げた瞬間(しゅんかん)から、たくさんの(しあわ)せをもらいました。本当(ほんとう)にかけがえのない、宝物(たからもの)だった。(いま)、めぐみが拉致(らち)されるまでの(あか)るい日常(にちじょう)(おも)()すたび、そう実感(じっかん)します。そんなあなただからこそ、(かなら)ず、(てん)(おお)きな(ちから)と、(おお)くの(みな)さまに(まも)られ、(おし)えられ、()()いているはずです。

 お(とう)さんも、お(かあ)さんも拉致(らち)事件(じけん)をどうすれば解決(かいけつ)できるのか、(かんが)えない()はありません。日本(にほん)北朝鮮(きたちょうせん)最高(さいこう)指導者(しどうしゃ)真剣(しんけん)()()い、平和(へいわ)(しあわ)せな()(らい)について(はな)()う。その()が、すぐにでも()るような()がしていましたが、事態(じたい)(しず)まり(かえ)っています。

 めぐみちゃんたちはこの瞬間(しゅんかん)も、日本(にほん)(たす)()してくれると(しん)じて、厳寒(げんかん)北朝鮮(きたちょうせん)()えていることでしょう。それを(おも)()かべ、日々(ひび)()らしの(なか)でも、新聞(しんぶん)やテレビのニュースに()(うば)われます。でも、国会(こっかい)などを()ていると、拉致(らち)事件(じけん)()()げら

(ちから)(かぎ)(ろん)じ合っていただきたいと(ねが)わずにはいられません。安倍(あべ)(しん)(ぞう)首相(しゅしょう)には決意(けつい)(つらぬ)き、すべての拉致(らち)被害者(ひがいしゃ)(すく)()して、祖国(そこく)(つち)()ませていただきたいと(おも)います。

 拉致(らち)事件(じけん)は、国家(こっか)犯罪(はんざい)であるとともに、(ひと)原罪(げんざい)そのものです。「他国(たこく)より(つよ)くありたい」「(うば)()ってやる」。そんな願望(がんぼう)がいさかいを()び、戦争(せんそう)()こしているのではないでしょうか。めぐみたち拉致(らち)被害者(ひがいしゃ)(わたし)たち家族(かぞく)も、拉致(らち)という非道(ひどう)極ま(きわま)りない北朝鮮(きたちょうせん)の「(つみ)」によって、人生(じんせい)(おお)くを(うば)われてきました。

 北朝(きたちょうせん)数多(あまた)国民(こくみん)()えに(くる)しみながらなお、軍備(ぐんび)にお(かね)(そそ)(つづ)けています。そして、(おお)くの拉致(らち)被害者(ひがいしゃ)()らわれたままなのです。それが()たして、幸福(こうふく)でしょうか。最高(さいこう)指導者(しどうしゃ)には、どうか、このことに(おも)いを(いた)し、(しあわ)せな世界(せかい)(おも)(えが)き、実現(じつげん)させてほしいと(ねが)います。(けっ)して、(むずか)しい決断(けつだん)ではないはずです。

 拉致(らち)事件(じけん)想像(そうぞう)()えることが()こります。平成(へいせい)14年、蓮池(はすいけ)さん夫妻(ふさい)()(むら)さん夫妻(ふさい)曽我(そが)ひとみさんが帰国(きこく)したときも、そうでした。「本当(ほんとう)()きていたんだ」。飛行(ひこう)()から()りる5人(ごにん)姿(すがた)()たとき、本当(ほんとう)(おどろ)き、希望(きぼう)()きました。

 北朝鮮(きたちょうせん)は、めぐみたちを「死亡(しぼう)」や「未入境(みにゅうきょう)」と(いつわ)りました。めぐみの(にせ)遺骨(いこつ)まで(おく)ってきました。でも、お(とう)さんもお(かあ)さんも、被害者(ひがいしゃ)全員(ぜんいん)が、きっと()きていると(しん)じています。かつては(なが)(あいだ)拉致(らち)事件(じけん)存在(そんざい)さえ否定(ひてい)する(こえ)がありました。しかし、非道(ひどう)拉致(らち)(たし)かに存在(そんざい)し、(なが)沈黙(ちんもく)()て、若者(わかもの)たちが生還(せいかん)()たしたのです。

 たけり(くる)暴風(ぼうふう)にさらされながら、今日(きょう)まで(なん)とか()きてくることができました。めぐみと(おな)じように、(おお)きな(ちから)(ささ)えられ、()かされてきたことに、感謝(かんしゃ)するばかりです。(わたし)たちは一人(ひとり)ではありません。だからお(かあ)さんは、すべての(みな)さまのことを(おも)い、今日(きょう)(いの)ります。

 すべての被害者(ひがいしゃ)日本(にほん)帰国(きこく)させるためには、とてつもないエネルギーが必要(ひつよう)です。(にほん)(みずか)らが()()がるのはもちろんのこと、世界中(せかいじゅう)勇気(ゆうき)(あい)正義(せいぎ)(こころ)必要(ひつよう)です。今一度(いまいちど)北朝鮮(きたちょうせん)()らわれ(すく)いを()拉致(らち)被害者(ひがいしゃ)のことを(こころ)(えが)いてください。そして、(おも)いを、(こえ)にしていただきたいと(ねが)います。

 めぐみちゃん。お(とう)さん、(おとうと)拓也(たくや)哲也(てつや)一緒(いっしょ)(たの)しく()らした日々(ひび)()(もど)すため、お(かあ)さんは全力(ぜんりょく)()くします。84歳(はちじゅうよんさい)誕生(たんじょう)()(むか)え、その(おも)いはみじんも()るぎません。どうか健康(けんこう)()()けて、(つよ)(のぞ)みをもって、元気(げんき)でいてくださいね。

2. 手袋を買いに(新美南吉)

手袋(てぶくろ)買い(かい)

新美南吉

 


 (さむ)(ふゆ)北方(ほっぽう)から、(きつね)親子(おやこ)()んでいる(もり)へもやって()ました。
 或朝(あるあさ)洞穴(ほらあな)から子供(こども)(きつね)()ようとしましたが、
「あっ」と(さけ)んで()(おさ)えながら(かあ)さん(きつね)のところへころげて()ました。
(かあ)ちゃん、()(なに)()さった、ぬいて頂戴(ちょうだい)(はや)(はや)く」と()いました。
 (かあ)さん(きつね)がびっくりして、あわてふためきながら、()(おさ)えている子供(こども)()(おそ)(おそ)るとりのけて()ましたが、(なに)()さってはいませんでした。(かあ)さん(きつね)洞穴(どうけつ)入口(いりぐち)から外へ出て始めてわけが(わか)りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお()さまがキラキラと(てら)していたので、雪は(まぶ)しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
 子供の狐は遊びに行きました。真綿(まわた)のように(やわら)かい雪の上を()(まわ)ると、雪の()が、しぶきのように飛び散って小さい(にじ)がすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄(ものすご)い音がして、パン粉のような粉雪(こなゆき)が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十(メートル)も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは(もみ)の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、()れて牡丹色(ぼたんいろ)になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ(あたたか)くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼(しもやけ)ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、(ぼう)やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
 暗い暗い夜が風呂敷(ふろしき)のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお(なか)の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。
 やがて、行手(ゆくて)にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
「あれは町の()なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思出(おもいだ)しました。およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、()る家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓(ひゃくしょう)に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、(ぼう)やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、(つね)って見たり、()いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に(まる)いシャッポの看板のかかっている家を(さが)すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を(たた)いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間(すきま)から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目(だめ)よ」と母さん狐は言いきかせました。
「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、(つか)まえて(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに(こわ)いものなんだよ」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨(はくどうか)を、人間の手の方へ握らせてやりました。
 子供の狐は、町の()を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を()めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡(めがね)の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで()かれ、()るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に(てら)されてかかっていました。
 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」
 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと()()で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指(ひとさしゆび)のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、(たな)から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃ)ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。

「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――

 子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって()いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴(ほらあな)の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」
 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ()んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、(あたたか)い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも(こわ)かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、(つか)まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。



3. ごんぎつね

ごん狐

新美南吉


 これは、わたしが小さいときに、村の茂平もへいというおじいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山なかやまというところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごんぎつね」という狐がいました。ごんは、一人ひとりぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種なたねがらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家ひゃくしょうやの裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
 あるあきのことでした。二、三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥もずの声がきんきん、ひびいていました。
 ごんは、村の小川おがわつつみまで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水がすくないのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、はぎの株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下かわしもの方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。
 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
兵十ひょうじゅうだな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子ほくろみたいにへばりついていました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
 兵十はそれから、びくをもって川からあがりびくを土手どてにおいといて、何をさがしにか、川上かわかみの方へかけていきました。
 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手しもての川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。
 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。
 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。


 十日とおかほどたって、ごんが、弥助やすけというお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内かないが、おはぐろをつけていました。鍛冶屋かじや新兵衛しんべえの家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、
「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
なんだろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」
 こんなことを考えながらやって来ますと、いつのにか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢おおぜいの人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭てぬぐいをさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
 おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵ろくじぞうさんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦やねがわらが光っています。墓地には、ひがんばなが、赤いきれのようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、かねが鳴って来ました。葬式の出る合図あいずです。
 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声はなしごえも近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌いはいをささげています。いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっかあだ」
 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
 その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「兵十のおっ母は、とこについていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」


 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。
 兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
 こちらの物置ものおきうしろから見ていたごんは、そう思いました。
 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」
 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助やすけのおかみさんが、裏戸口から、
「いわしをおくれ。」と言いました。いわしうりは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へむかってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
 つぎの日には、ごんは山でくりをどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯ひるめしをたべかけて、茶椀ちゃわんをもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十のほっぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人ぬすびとと思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。
 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。
 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。


 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助かすけというお百姓でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見にいよ。その栗を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
 それなり、二人はだまって歩いていきました。
 加助がひょいと、うしろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛きちべえというお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚もくぎょの音がしています。窓の障子しょうじにあかりがさしていて、大きな坊主頭ぼうずあたまがうつって動いていました。ごんは、
「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。


 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師かげぼうしをふみふみいきました。
 お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。
「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」
「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」
「うん」
 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。


 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置でなわをなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は立ちあがって、納屋なやにかけてある火縄銃ひなわじゅうをとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間どまに栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口つつぐちから細く出ていました。